諏訪湖から遠州灘まで213キロの旅

浜松の水瓶、天竜川に思いを寄せて、天竜川の写真やデータで構成するページです。
ページのスタートは、平成6年に当組合が発刊した35周年記念誌のデータを再構成したものから始めます。
天竜川をテーマとした写真やエッセイ、詩や短歌などをお寄せください。読者のみなさまとご一緒に、少しずつ読み応えのあるページにしていきたいと思います。


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  もくじ
    天竜川流域データ
    蛇口の語源
   都市の嘴
   どっこい生きてる「ガチャポン君」


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暴れ天竜を治めて、巨大なエネルギーの源泉へ。
 本州のほぼ中央、海抜700メートルの諏訪湖から始まる天竜川は、赤石と木曽、二つの山脈に挟まれた伊那谷を流れながら支流を集め、天竜峡谷では奔流となって駆け抜け、北遠山塊の峡間を縫って滔々と流れ下ると、やがて遠州平野をゆっくりと南下して遠州灘へと注ぎます。全長213キロメートル。流域面積5090キロ平方メートル。それはさながら巨大な「滝壷」であるかのようです。
 また、急流なるが故に、古来より水害も数知れず、「水を制するもの天下を治める」の諺通り、天竜川流域に暮らす人々の歴史は、まさに川との戦いでもありました。
 中でも天竜川治水に全財産を投じた金原明善翁の名は百年後のいまも語り継がれています。1832年(天保3年)、現浜松市安間町に生まれた翁は、たびたび水害をもたらす天竜川に治水の必要性を感じ、1877年(明治10年)、治水事業に私財63516円の寄付を申し出ました(当時、米1俵1円50銭)。また1885年(明治18年)ごろからは、治水は治山にこそありと、林業にも目を向け、植林にも尽力されました。このほか、暴れ天竜と闘った先人たちには、徳川幕府初期、自らが人柱となって堤防補修に身を捧げた松野彦助(浜北市)、天明の大飢饉の頃に二俣川の河口流路を変えた袴田喜長(天竜市)、幕末期に浦川村(佐久間町)で堤防や水路工事を敢行した矢高濤一などが知られています。
 戦後は佐久間ダム、秋葉ダム、船明ダムなどが作られ、給水、発電、農工業用水などの多目的ダムとして利用されるとともに、川の放流調整池としての役目も果たしています。これによって生まれた流域の肥沃な農地、豊富な水、そして温暖な気候、海の幸、山の幸。私たちはこの恩恵を存分に活用することで無限の発展の可能性を感じると同時に、この稀有の資源をもっともっと大切に守っていかなくてはと強く思います。